どうやら帰り道に偶然会ったらしく、兄貴と歩美はニケツしていたがわざわざ自転車引いて父親と話しながら帰ってきたらしい。
その数十分の間に父親は歩美を気に入ったらしく、普段気難しくて無口なくせに歩美をめちゃくちゃ可愛がっていた。
息子二人はむさ苦しいだの、娘が欲しかっただの、食事のときに言いたい放題された。
テーブルはよく人が来るので六人用の大きいテーブルなんだが、なぜか歩美を真ん中にして両隣に俺と兄貴は座った。
歩美「この前はごめんね。気を使って部屋にいてくれたみたいで」
俺「えっ?」
歩美「あっ、この前じゃなくて二ヶ月も前になるのか。初めて来たとき、涼太くんジャージだったけど今日はちゃんと私服だね」
たったそれだけの会話だったが、歩美が服装まで覚えていてくれたことが嬉しくて泣きそうだった。
俺「いや、あっ…はい」
何か上手いこと返したいし、会話を繋げたいのにテンパって言葉が出ない。するとなぜか母親が「私服」という歩美の言葉に反応した。
母親「そうなの、歩美ちゃん。聞いてよ、この子ったら私服で遊びに行くかジャージでサッカーするかで、勉強しないのよ!」
歩美「えっ、そうなんですか?」
俺「おい、ふざけんな。やめろ!」
母親「中間テストの結果、ベッドの下に隠してたの見つけたの!もうね、健太を見習って勉強してほしい」
最悪だった。本当に。なんでここでその話を出すんだよ!って、思いっきり母親を睨みつけた。
しかもちゃっかり自分の息子1人を生贄にしてもう1人の息子の株を上げやがった。すでに歩美は兄貴のものであるが、俺だって歩美に少しでも見てもらいたい。
それを台無しにして涼太くんはバカって印象を植え付けようとする母親を俺は一生許さない。と、心に誓った時だった。
歩美「じゃあ、私が勉強見ますか?」
最初、その言葉の意味が全く理解できなかった。しかしそれを聞いた兄貴も賛成し出した。
兄貴「ああ、確かにそれいいな。涼太、歩美に勉強教えてもらえよ。期末いつ?」
俺「二週間後」
兄貴「じゃあ尚更いいじゃん、俺らテスト明後日で終わるから歩美に教われよ」
言ってなかったが、兄貴と歩美の通う高校は県内でもトップの進学校である。その中でも歩美は学年順位50番以内に毎回入る頭の良さを持っているらしい。
歩美「家庭教師ってわけじゃないけど、どうかな?私じゃ嫌だ?」
俺「嫌じゃないですけど、でも…」
この時すぐ返事をしなかったのは、マジで俺が頭が悪いからバレるのが恥ずかしかったから。
それともう一つ、歩美が純粋に俺を教えるために提案しているわけじゃないと分かっていたからだ。
俺を教えるために家にくれば、兄貴がいる。俺を口実に家に入れるのは、そりゃあ彼女からしたら美味しい話に決まっている。家族と仲良くして損はないしな。
そんな捻くれた考えを一瞬で頭に浮かべた俺も性格悪いけど、素直に喜んでお願い出来ない自分がいた。
だが、そんな心の葛藤など関係ない。母親は俺に向けて意味深に笑って小さく頷いて来た。
あの威圧感は多分あの場所にいなきゃ分からなかったと思う。頷きながら浮かべた笑顔の中には、
「エロ本の話は健太にもお父さんにも言わないであげるから、家庭教師してもらって勉強しなさい」
という無言の圧力が含まれていた。その恐ろしさにやられ、俺は気がつけば冷や汗をかきながら歩美に「お願いします」と頭を下げていた。
その二日後、歩美は期末テストを終えてそのまま俺の家に来た。部活動停止はテスト一週間前からなので、俺は放課後部活があった。
部活で疲れて夕方家に帰ると、リビングから「お帰りなさい」と顔を覗かせたのは歩美。
歩美が家庭教師することを忘れていた俺は、まさか兄貴達のテストが終わって直ぐにとは思わなかったので一気に疲れが吹き飛んでしまった。
歩美「じゃあ、早速涼太くんの部屋でいいかな?先にご飯食べる?」
俺「あっ、30分くらいなら多分ご飯食わないでまだ平気です」
歩美「なら、勝手にテスト見せてもらったけど苦手みたいだから英語からやろうか」
俺「えっ、じゃあ先にご飯食べます!」
歩美「ダメだよ。そこのコンビニで買い食いしたでしょ?コロッケ。口に衣ついてるよ」
そう。俺は学校でも部活でも禁止されているが、たまに買い食いをして帰っている。不覚にも口に衣をつけたままでいたらしい。
青春だなw
観念して二人で部屋に向かったが、俺の自室に入ってすぐの歩美の吐息交じりの感想は「健太と違うね」だった。
確かにシンプルな兄貴の部屋に比べたら、まだ中学生の俺は特に部屋にこだわりがあるわけでもなく使っていた。
兄貴の部屋を出入りする歩美からしたらそれは当たり前の感想なのかもしれないが、彼女に対して好意を抱く俺からしたら複雑な気持ちになる一言だ。
歩美「じゃあ、英語からやるよ。私が中学生のときに使ってた教科書とテキスト、問題集持ってきたからね」
俺「ありがとうございます」
俺の勉強机を使って勉強しようと思ったが、狭いしやりにくいので却下。代わりにフローリングの上にカーペットと小さい折りたたみのテーブルを置いて勉強をした。
制服姿の歩美は俺の横に正座を崩して座ると、直ぐに期末テストの範囲表を見て勉強計画表を書き出した。
待つこと10分。その間俺は何を話すわけでもなくA4サイズの紙に書かれた歩美の可愛い字と鬼畜な計画表を眺めていた。
歩美「はい。これを効率よくきちんとやれば、中間テストの点数をカバーできると思う」
俺「ありがとうございます」
歩美「別に涼太くんそこまで勉強苦手ってわけじゃないみたいだし、ダメなのは英語と国語でしょ?理系科目はやっぱり健太と一緒で得意なんだね」
兄貴は高校で理系コースを選んで選択授業を受けている。そして俺も真似するように数学や理科が得意だった。
兄貴を追いかけているうちに、理系科目が自然と出来るようになったのだ。
歩美「これならそこまで数学や理科を勉強しなくても苦手教科をやれば大丈夫だね」
俺「あっ、はい」
歩美「じゃあ、勉強しようか」
こうして、俺と歩美の期末テストまでの勉強会が始まった。
隣に好きな女がいて、しかも良い匂いがする。歩美はナチュラルメイクで香水をつけているわけではない。だが、甘い匂いがして不覚にも反応してしまいそうだった。
きっちり着た中学生の制服姿など比べものにならないくらい、第二ボタンまで空いたワイシャツは品があるのに色っぽい。
そこから見える綺麗な鎖骨。そして、兄貴とお揃いのネックレス。
俺はそれを盗み見て、一気に気持ちが沈んでいった。
どんなに歩美に近づいても、兄貴みたいな距離までは迫れない。どれだけ心を許してもらっても、兄貴を好きだという気持ちを奪えるわけじゃない。
彼女自らが名乗り出た家庭教師という仕事も、その優しさも。結局最後に繋がるのは兄貴だった。
俺はそれを分かっていたからこそ、バカみたいに手放しで近くにいる歩美の存在に浮かれていられなかった。
このまま押し倒してキスをしてやりたい。でも、そんなこと出来るわけがない。夕飯までの30分という勉強時間はあっという間に終わった。
この蛇の生殺しみたいなものがこれから二週間も続くと思うと嬉しい反面、いつ反応した下半身がバレるかと冷や冷やした。
リビングに歩美と向かうが、どうやら兄貴は帰っていたらしい。歩美は駆け足で兄貴の元へ行くと、ソファに座る兄貴の胸へダイブしたのだ。それをしっかり受け止めた兄貴は、歩美を膝の間に座らせていた。
歩美「お帰りなさい」
健太「ただいま。涼太の勉強見てくれてありがとうな」
歩美「ううん。涼太くん頑張ってくれるからやりがいある。涼太くん、絶対に良い点取ろうね!」
そう言ってこっちを見て笑う歩美。その良い点数は、一体誰のために取るのだろうか。俺はまた捻くれた考えが浮かんでいた。
成績を心配する母親のため?優秀な兄貴に負けないため?俺自身のため?
どれも違う気がした。結局俺のテストの点数はそのまま歩美の家庭教師としての評価に繋がるのだ。なら、俺は好きな女のために頑張るという選択しかない。
目の前で仲良くし合う兄貴と歩美の姿を見ても別になんとも思わないというように余裕ぶって、本当はこの日以降ほぼ毎日来る歩美の姿に泣きそうだった。
勉強してる間は俺だけを見てくれている。そんな勘違いをしてしまいそうだったが、実際は兄貴のことしか歩美の心の中にはいない。
何がダメなんだろう。年齢?性格?身長?頭もサッカーも愛想も顔も、たしかに兄貴より劣っている。それでも好きなものはしょうがなかった。
歩美との勉強会については、特に何かあったわけじゃないので割愛する。だが、一つだけこの勉強会で変わったことがあった。
それは歩美と敬語で話していたのが、呼び捨てタメ語になったこと。もう一つは、歩美も俺を呼び捨てするようになったのだ。
勉強会をする中でだんだんと他愛もない会話をして仲良くなり、流れでそうなっていた。まだ声変わりしたばかりの俺の声は、自分でも兄貴に似ていると思った。その声で歩美の名前を呼ぶと、たまに顔を赤くしていた。
胸元のネックレスを見なければ。また、兄貴と二人でいるときの歩美の甘い雰囲気から目をそらせば。俺はあまり辛いと思わないでいられた。
そして、約束の二週間後。俺は期末テストで今までにない高得点を取ることが出来た。
担任にも褒められ、兄貴を知る部活の顧問には当時の兄貴より良い点数だと言われ、俺の気分は最高だった。始めて兄貴より優位に立てた。それだけで満足だった。
嬉しさを隠せず顔が緩んでしまっていたが、とにかく早く帰ってテスト結果を報告したかった。
嬉しいことに部活は運動部のグラウンド交換制により休みだ。俺は急いで帰り支度を済ませると、教室を出ようとした。
が、そこで「涼太!」と名前を呼ばれて教室へ振り返った。
振り返った先にいたのは、幼稚園の頃から一緒の奈津という女だった。気が強くサバサバした性格のため、学年でも男子から人気のある女だ。
しかし俺からしたら男勝りで恋愛対象外の幼馴染みたいな存在だった。
奈津「同じクラスだけど、話すの久しぶりだね」
俺「ああ、そうだな」
奈津とは小学生時代まで二人で遊んだりする仲だったが、中学生になってからは妙に意識してしまいお互いに避けるようになっていた。別に嫌いになったわけじゃないし、またしばらくしたら普通になるだろうと放っておいた。
奈津「実は、涼太に相談があるんだけど。もし大丈夫ならこれから空いてない?」
俺「えっ?」
奈津「ダメならいいんだけど…」
俺は困った。早く帰って歩美にテスト結果を報告したいが、珍しく話しかけてきた奈津に、また昔みたいな関係に戻れるかもという期待もしていた。
数分黙り込んで考えた俺は、良いことを思いついた。それは、奈津を家に連れて行くというものだった。
奈津なら家族全員知ってるし、昔はよく家に来ていた。それに、この時俺はバカなことを考えていたのだ。
もし奈津を連れて帰ったら、歩美は俺の彼女だと勘違いする。そしたら少しくらいは妬いてくれるかも…というものだった。今になって思えばあり得ないことなのに、俺は奈津を利用するために家に招いた。
そして結果的に、これは俺を苦しめることになる。