ところが、ひとつだけ心配なことがあった。
あれだけ、手紙を書くと約束してくれたたまちゃんから、一向にお手紙が来ない。
「まぁ、この間さよならしたばっかりで、普通はすぐにお手紙も書くわけないよな」
そう思って、初めのひと月、ふた月が過ぎた。
三か月めになって、季節も春から夏へ移ろい始めたころ、お手紙はまだ来なかった。
「ああ、あれだけなついてくれて、最後には大泣きしていたたまちゃんも、
いざ毎日顔を合わさないようになってしまえば、やっぱりすぐに忘れてしまったのかな」
なんて、少し暗い気持ちになりかけてた頃、
不意に、たまちゃんから手紙が届いた。
やっと届いた手紙は、一言でいうと、稚拙だった。
小2のたまちゃんは、直接喋っていれば、それなりに日本語も通じるし、
こっちが冗談みたいなことを言えば、「なにそれ~、も~!!!」みたいに反応もあったんだけど、
やはり、それが文を書くとなれば全然違って、手紙と言うより、ほとんど思いつきの文の羅列にすぎなかった。
それでも、おれは、やっぱりすごくうれしかった。
「>>1先生がいなくなってさみしいよ~」とか、
「遊びに来てね~」とか、そういう、端々の言葉に、ほんとに励まされた。
「これプレゼント」とか言って、訳のわからない自作の本みたいなものも同封されてたりして、
内容は意味不明だけど、一所懸命に作ってくれたんだなって思うと、ジンとした。
さて、とは言うものの実はその頃、俺は仕事があまりうまくいってなかった。
すべりだし順調!と意気揚々と新しい職場での毎日を始めたものの、
やっぱり、学校が変わると文化もちがう。
前の職場では、あれだけ子どもたちとも信頼関係が出来ていたのに、
何がきっかけかもわからないまま、なんとなくこどもたちとうまく噛み合わなくなってしまっていた。
「まずいまずい」と気持ちが焦れば焦るほど、かえって子どもたちのイヤな部分が目に付いてしまい、
注意ばかりを繰り返す。そして、また子どもの気持ちが離れていくという悪循環が始まりかけていた。
そのお手紙の最後には、
「この前あげたキーホルダー、たまの代わりだと思って大事にしてね」
と書かれてあって、自分もはっと思い出した。
たまちゃんが、まだ自分とお別れということが分かるより前の2月ごろ、
「これ、あげる」と言って、ビーズで作った手作りのキーホルダーをくれていたのだった。
もちろん、もらった時は感激して、「大事にするよ!」なんて言っていたのだけれど、
ほんとに大事にしすぎて、机の中にしまいっぱなしだった。
たまちゃんの側では、それをちゃんと覚えていて、気にしてくれたのだ。
あらためてそのキーホルダーを、机上の見えるところに取り出して、
それと手紙を前に「うしっ! 頑張ろう!」とまた気持ちを新たにした。
次第に、雲行きはどんどん怪しくなっていった。
子どもに指導したことが逆効果になり、高学年の子はそれを逆手にとって
「>>1先生にひどいこと言われたんですけど」なんて管理職に訴えたりして
こちらには言い分も100ほどもあったけれど、事なかれ主義の管理職からは
「>>1先生、困りますよ。まだあなたはこの学校に来たばっかりでしょう、問題を起こさないでください」
なんて言われてしまう始末。
気もちもどんどん落ち込んでしまっていた。体重は半年で10kg落ちた。
>>49 まあ、おれも職場では2chとか全くやってない好青年を演じてるけどねw
たまちゃんの平和な日常を心の安寧にして、
自分は目の前の子どもたちと、本当に正面から向き合えていないんじゃないか。
今の学校の子どもたちの間で、一体何が流行っているんだろうか。
そんなこともきちんとわかっていない中で、信頼関係なんて築けるはずがない。
たまちゃんの無邪気なひとことに、頭をガツンと殴られた気分だった。
子どもたちとの行き違いも、自分の独りよがりがあったのかもしれない。
また、明日から、気持ちを切り替えて、頑張ろうという意欲が湧いた。
秋口になって、また行き違いからぐっと落ち込むようなことがあった日、
自宅に帰ると郵便受けにまたたまちゃんからの手紙を見つけた。
家の中に転がり込むと、勢い込んで封を切り、お手紙を読んだ。
相変わらず、最近はこんな遊びをしていますとか、
友達が最近こんなことしています、みたいな近況報告ばかりだったけれど、
その何気ない平和な日常が嬉しかった。
たまちゃんは、毎日楽しく学校に通っているんだ。
そう思えることが、もはや心の支えにすらなっていた。
でも、そのお手紙の最後に
「>>1先生の学校では、何が流行っていますか。また会えるとうれしいです」
という言葉を見つけ、思わず愕然とした。
>>54
返事はもちろん書いてたよ。
でも、やっぱり、当たり障りのない言葉を選んだ返事だった。
この秋口の手紙の頃には、だいぶ気持ちが落ち込んでいたから、
「たまちゃん、一目姿を見たいよ」という本音がありながらも、さすがにそんなことを
気もちのおもむくままの表現で書くなんてことはありえないから
「たまちゃんが楽しそうな毎日でよかったです。
そうですね、先生もまた、たまちゃんたちにいつか会えるとうれしいです」
みたいな文調だよね。
それでも、たまちゃんからの手紙が届いたらその翌日には返事を投函してたけどw
と、かっこよく割り切れればいいんだけれど、そこは俺の弱い所。
そういう風に感じたのも事実だけど、同時にたまちゃんの
「また会いたいです」という一言に、心が揺さぶられた。
今の学校での辛い毎日・・・。
たまちゃんにまた会いたい・・・。
たまちゃんからの手紙は、
俺の心を奮い立たせると同時に、
以前の楽しかった日々=たまちゃんの姿に依存するおれという、
二つの異なる方向性を持って、俺に迫ってくるものがあった。
>>59 分からん。取り留めなく書いてるからなぁ。放文よ。
正直、すぐにでもたまちゃんに会って、声を聴きたかった。
きっと昔のように抱きついてくるであろうたまちゃんを、抱き返してやりたかった。
このころは、手紙と言う間接的な形でしか掴めない、
おぼろげなたまちゃんの存在だけを心の支えに、毎日職場に向かっていたように思う。
そしてまた1年が過ぎようとして、あの震災が起きた。
そんなこんなで俺自身は新しい職場で苦しみつつ、何とか1年が過ぎ、2年目を迎えた。
たまちゃんは4年生になった。
正直言って、たまちゃんの手紙は、依然としてやっぱり取り留めのないものばっかりだった。
それでも、その中のちょっとした言葉のひとつひとつに励まされていた。
あいかわらず、手紙の最後の方には「>>1先生にまた会いたいです」というようなことが
毎回のように書いてあって、やっぱり相変わらず新しい職場で自分の立ち位置を明確に
出来ていなかったおれは、その「会いたいです」に心が揺さぶられ続けた。