20歳になった弟から手紙をもらった➡︎その内容が・・・

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71:名無しさん@おーぷん: 2018/07/11(水)22:58:17HS2
>>70
きょうだい3人は私も含まれてる

74:名無しさん@おーぷん: 2018/07/11(水)23:04:51HS2
夏になり、母はベッドの上で1人で上体を起こすこともできなくなった。仕事を早めに上がらせてもらって面会に行くことが続いていた。弟も夕方の練習を休んで面会に来ることが増えていた。
私はこの頃、眠れない日が続いていた。

77:名無しさん@おーぷん: 2018/07/11(水)23:08:41HS2
そろそろ母が死ぬんだろうなと思っていた。
覚悟はできている、って思っていたけど実際は怖くて仕方ない。
夏休みになってからは、弟は部活が休みの日は一日中母と話していた。

73:名無しさん@おーぷん: 2018/07/11(水)23:04:31yrX
釣りだぞ

75:名無しさん@おーぷん: 2018/07/11(水)23:07:03Med
>>73
…というか釣りネタって俺の家族の事だから解るよ

79:名無しさん@おーぷん: 2018/07/11(水)23:12:32HS2
>>75
べたべたするような毎日楽しく話をするような仲ではないよ
それぞれが中学生の頃は一言も話さない日もたくさんあったし
それでもテレビ見て笑い合ったりとか、一緒に親に怒られたりとか、私個人的には仲良しだったんだ。
何を伝えたいのかは正直私も分からない
ただ喜びと達成感と悲しさがぐっと込み上げてきて、
今までを振り返りたいなって思いと、同じような人がいたら話してみたいなと思って。

80:名無しさん@おーぷん: 2018/07/11(水)23:16:02HS2
8月のある日、私は仕事、弟は朝から晩まで面会の予定だった。
お昼過ぎに弟から職場へ連絡があった。
ちょうど子どもたちのお昼寝の時間で寝かしつけている所だった。
慌てた表情で部屋に来た主任の表情で母が亡くなったってすぐに分かった。

82:名無しさん@おーぷん: 2018/07/11(水)23:18:24HS2
着替えたり、病院へ行く準備をしてる間に主任がタクシー呼んでくれていた。手を握って「いってらっしゃい」って言ってくれた
その優しさに泣きそうになった。

85:名無しさん@おーぷん: 2018/07/11(水)23:24:37HS2
タクシーの中でずっと手が震えてた。
覚悟してたから淡々としていられるはずだったんだけど、
無理だった。めちゃくちゃ怖かった。
病院着いて、まず母に会いに行った。すごく綺麗な顔。
だけど怖くて触れなかった。
落ち着いてからまた来ようと思って、病室へ行った。
弟がワンワン泣いていた。

87:名無しさん@おーぷん: 2018/07/11(水)23:30:34HS2
よく見たら弟が手にノート持ってて、
開いてるページが涙でびしょびしょ。
背中をさすりながらノート取ってよく見てみたら、
「〇〇くん、生まれ変わったらお母さんと結婚しようね」
って書いてあった。
他のページにもメッセージがたくさんあった。
たぶん思いつきというか、文章にするつもりなくその時頭に浮かんだメッセージを書いたのか、
短文のものが何ページにもあった。

88:名無しさん@おーぷん: 2018/07/11(水)23:32:20HS2
お母さん天然な人だったから面白いのもあったけど
書いてることが思い出深いものばっかりで、
ページめくるたびに弟は声をあげて泣いた。

89:名無しさん@おーぷん: 2018/07/11(水)23:39:26HS2
引き出しの中に私へのノートもあった。
1ページ目は長文で、
「〇〇ちゃん。弟くんが生まれるまで泣き虫でわがままだったね。でも弟くんが生まれてから急にしっかり者のお姉ちゃんになって、お母さんは困惑しました。
あんなに泣き虫だったのに、お父さんのお葬式以来もう何年も泣いていないこと、お母さん知っています。
たまには泣くのも悪くないよ。たまには泣かないと婚期逃すよ。いつも頑張ってる〇〇ちゃんの涙はみんな受け止めてくれるよ」
って感じで。


90:名無しさん@おーぷん: 2018/07/11(水)23:44:47HS2
泣きそうになったけど弟の前で泣きたくなかったから我慢した。
たぶん涙目なってただろうけど。
その日の夜には遠くに住んでる親戚がたくさん来た。
みんな私や弟のことを褒めてくれた。
2人とも偉い!立派に育ってる!って声掛けてくれて、
かわいそうって言われるよりもそうやって実際の頑張りを認めてもらえて私も弟も嬉しかった

91:名無しさん@おーぷん: 2018/07/11(水)23:49:12HS2
しばらくの間、祖父母や叔父叔母が実家やホテルに泊まり、手続きなど色々と手伝ってくれた。
年に数回しか会わない人たちだけど、私達のことを真剣に考えてくれていることがよく分かった。
必要があればすぐにまた来るし、なんなら引っ越して一緒に住んでもいい!とまで言ってくれていた。
正直そこまで思ってくれているとは思わなくてすごく嬉しかった。
何かあったらすぐ頼れると思うと安心した。

93:名無しさん@おーぷん: 2018/07/11(水)23:54:31HS2
仕事は規定より長めに休みもらった。
それから弟が高1の間は特に何事もなく過ぎていった。
弟の高校とは母の病気が分かった時からこまめに連絡取ってたので、
色々と理解してくれていた。
なっちゃんも相変わらず可愛い。

94:名無しさん@おーぷん: 2018/07/12(木)00:02:47l8I
社会人2年目になると、仕事は慣れ、生活も落ち着いてきた。
弟は高校2年生。進路を悩み始めていた。
就職か進学か。理由はやっぱり金銭面。
私の貯金がそれなりにあったことや、親戚一同が少しずつ出し合って弟の進学を手伝ってくれると言ってくれたことから
たくさん話し合って、親戚に甘えることにした。

95:名無しさん@おーぷん: 2018/07/12(木)00:05:22l8I
高校3年生になると、勉強での疲れや苛立ちを
私にぶつけてくるようになってきた。

96:名無しさん@おーぷん: 2018/07/12(木)00:11:12l8I
なっちゃんと喧嘩している期間は、特に。
お風呂の温度が熱すぎる、肉より魚の気分だった、俺の隣でアイス食うな、チー鱈を食うな、朝ドラ観るな
今まで言わなかったちょっとしたことをたくさん言ってくるようになった。

97:名無しさん@おーぷん: 2018/07/12(木)00:14:49l8I
さすがに理不尽なことを言われると私も怒ることもあった。
そんなこんなで秋には志望校A判定になり、
弟の気持ちにも少しの余裕ができたみたいで
ちょっとしたことで怒らなくなった。
なっちゃんは私の卒業した短大志望で保育士を目指すとのことで
私は嬉しくてたまらなかった

98:名無しさん@おーぷん: 2018/07/12(木)00:18:14l8I
弟はなんとか志望校合格。
弟は泣いて喜んだ。
私は「みんなにお金出してもらうんだし当たり前だね」
ってめちゃくちゃ冷たいこと言った。
素直におめでとうって言ってあげれば良かったなと思う。

99:名無しさん@おーぷん: 2018/07/12(木)00:22:59l8I
卒業式は有給を取って出席した。
中学の卒業式と同じように、退場で目が合うと照れてた。
そして今回も教室で最後のホームルーム。
周りはほとんど40代のお母さんだったけど
私のようにきょうだいが来ているところもあって、あんまり浮かなかった。