24時間修行しっぱなし
もちろん名目上の就寝はあるにはあるんだが行数が絶対だから初めての初行って連中は自分の睡眠時間なんかないんだよ
食べ物もお粥の米抜いたお湯、要するに重湯だな、これを一日一食から二食
もう死ぬんじゃないかと毎日思った
その時は何も不思議に思わなかったんだが俺は少しずつ人間の可能性を感じ始めてきてた
不思議なもんで人間ってのは恵まれすぎると感覚が鈍るみたいでな
そういうもんを一切取っ払って取っ払って生身になると人間本来の五感が研ぎ澄まされるんだな
次に変わったのは手だった
読経で正座中、床に手をやると後ろの連中が足が痺れて不安定な正座をしてるのが分かった
不思議なもんだな
次に変わってきたのは目だった
すでに修行は40日が経過していた
全員はしてねえな、宗派でも違うし修行は強制ではないからな
やりたい奴はやる、ただ寺から離れる訳だから都合がつかなくて修行に行けないやつもいる
目が変わったってのは物がゆっくり見えたり写経用の髪の枚数を山積みの状態でも数えたり出来るようになってきた
感覚を研ぎ澄ましたければ
毎日人がたくさんいる教室みたいなところで寝たふりをしたほうがいいぞ
聴覚というか音に含まれる情報からの認識力が向上するからな
誰かがちょっかいを出してくれる環境だともっといい
いわゆる殺気がわかるようになる
修行60日が経った頃修行仲間が1人死んだ
なんていえば若いのに伝わるかな
歳食ってから人の死を経験するとな自分の居場所が一つ減ったような寂しい気持ちになるんだわ
まぁなんだ、甘ちゃん小僧が殺気だなんだと言ったところで本当に死と向き合った事もねえのが吠えてるようにしか見えねえなあ
それからより一層自分を追い込んで修行に励んだ俺は無事に修行を終えたわけだ
いの一番に墓行って報告したんだがよ
どういうわけか墓が怖いんだわ
人間の歩き方には個々に癖があって
毎日聞いている足音ならば個人を特定することはさほど難しくない
教室狸寝入りを3ヶ月もやれば可能
こりゃ困ったなあと思って先輩坊主に相談すると、どうやら業界で言う「触る」ってやつらしいのな
200人の大人が全力で読経してる空間でだ素足で床歩いてる音を聞き分けるのが簡単かい最近の若いのは大したもんだな感心するぞ
その触るってのは要するに一般人が言う「取り憑かれる」みたいなもんなんだとよ
俺は触られた訳だ
要するに死後にやることの先取りだよなこういう修行って
可能性は広がるが、それは限界を知るのと同義でもある
左肩はピクリとも動かね墓は怖い水も怖いじゃ供養もできやしねえ
修行したことを悔やんだねあれは
察しの良い利口なのもいるもんだな
そんでだここで人間の可能性の話に戻るが、自分で原因確かめたいから小さい粗末なお堂に篭ることにしたんだわ
そしたらよ耳も手も目も何の役にも立たねえんだ
父ちゃん母ちゃんと握手出来るわけでもねえ顔見れる訳でもねえ
毎日午前2時ごろには必ずお堂を揺らす奴らが二.三人いたんだわ実体はねえのだな
揺らすってのはユサユサするんじゃなくてな中から存在を教えてくるっていうかな
待ってる像を倒したり経本めくったりしてくるんだわ