産婦人科にいた事もある姑が
「熱を持ってるね。痛いね。でも出さないともっと痛いから。代わってあげられなくてゴメンね」
と泣きながらマッサージを手伝ってくれた。
避難所では「ブランクがあって、知識が古いけど」と看護士として働いて、
まわりを元気づけていた。
あの時赤ん坊だった下の子はもう高校生で、舅は既に他界した。
福島の震災をみていると、どうしても阪神地震を思い出してしまう。
同居の姑は、今も喜怒哀楽をあまり出さないけど、
今では何を考えているかちゃんと分かる。
ありがとう、おかあさん。
あの時の血だらけの貴方を忘れません。
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「早く逃げなさい!後から行くから」あまり仲良くなかった姑の血だらけになりながらの笑顔に涙・・・
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