「絶対に漫画家になる!」と決意して必死に頑張ったものの、悲惨な崩壊の末路を辿った男がこちら…!

当然、こんな場合は我武者羅に漫画を描き続けるしかない。

でもクオリティを落とすわけにはいかないし、

やる気が加速につながらないのも作画のじれったいところだ。

結局バイトに追われながら次の作品が仕上がったのは8ヶ月以上も経ってからだった。

しかし、俺はS社には連絡を入れられずにいた。

編集さんが俺のことを覚えているはずもないだろうし、

いよいよとなるとこの8ヶ月分の結晶が砕かれるのが怖くなったのだ。

そして俺は、別の出版社A社に持ち込むことにした。

S社に比べるとかなり格が落ちてしまうが、俺はとにかく結果が欲しかった。

A社の編集さんは恐ろしく優しかった。

志望雑誌のレベルを下げたこともあり、俺は初めてそこの賞で期待賞を獲った。

これは本当に嬉しかった。

受賞者は名前とカットが雑誌に掲載されるのだが、

その雑誌が発売される日は近くのコンビニまで0時を回ってから、

自分のカットをチェックしに行ったくらいだった。

その時点で俺の年齢は21歳。

大学に行った奴らは3年生。

もうすぐ就職活動という時期。

順調に人生を歩き始める同級生。

この波にきちんと乗れれば、何とか彼らと肩を並べられるな…とか、

そういうことを思ってたのは今でも覚えている。

そして、それから先は一進一退の打ち合わせ。

ネーム段階から話し合いをして、賞に出すという時期が続いた。

その時期は落ち込むこともあったが、やはり基本は楽しかった。

そして1年以上打ち合わせを繰り返した後、俺は終に佳作を獲ることに成功する。

人生最高の時だったと思う。

その報告を電話で受けた時には、喜びと安堵で涙が出そうになった。

これで俺の漫画人生は開ける!

次はいよいよ連載ネームを切れるんだ!

年は既に23歳になり、同い年の奴らは働き始めていたが、

何とか俺も社会人としてやっていけそうだ…と思った。

ここからが地獄の始まりだった。

連載ネームを切る作業は楽しかった。

特に今まで書いたことのない第2話、第3話を描くのが新鮮だった。

読みきりではキャラ数を減らせと言われるのが普通だが、 連載ではそうはいかない。

逆に魅力的なキャラクターをどんどん出していかなければ、物語は広がっていかない。

今まで溜めた欲求を晴らすかのごとく、 暖めてきたネタの全てをネームに込めた。

 

この作業にも半年はかかったと思う。

担当編集を通り、次に編集長に見せられることになった。

編集長がokサインを出せば、晴れて俺も連載作家、漫画家になれる!!

しかし、結果はボツだった。

「漫画家はデビューするまでは簡単。デビューしてからの方が遥かに難しい」

というのは、その時点で結構耳にしていた。

しかし俺自身自分の連載用ネームにはかなりの自信があった。

波に乗っていたということもあり、編集長も通すだろうと思ってた。

しかし結果は惨敗。

このネームを手直しするとかじゃなくて、完全に沈めて新しい何かを描けとの事だった。

「このストーリーを描くために漫画家を目指したんだ!」

と思えるほどのネームが完全にボツになったショックも冷めぬうちに「新しい何か」 俺は頭を捻った。

新人にも旬というものがある。

近く行われた賞で授賞をした新人はやはり編集部からの注目度も高い。

記憶に新しいし、若さもある。

逆にくすぶり続けると、もうセンスが枯渇しているとか古いとか、

編集部内で飽きられてしまったりすることがあるそうだ。

俺が連載用ネームを切っている間にも、何人かの受賞者が生まれた。

俺は焦ってネームを切った。

しかし、俺が切れるネームは方向性が似ていて、そのネームは担当編集の時点でボツをくらった。

そんな中、俺と同じ時期に授賞した人の連載が決まった。

俺は負けたと思った。

でも悔しさよりは焦りの方が勝っていたと思う。

この時点で24歳。

気分転換に久しぶりに同級生と飲みに行った。

同級生は社会人2年目で、仕事が段々と板についてきた。

高校も割とレベルの高い高校だったため、皆良いところに就職できたようだ。

ちょっと前まではひたすら皆で牛丼食べていたのに、 今や良さげな店で洋酒を飲むようになっていた。

未だに1500円の服を着ているのは俺だけだった。

「それで、お前の漫画いつ読ませてくれるの?」 と友人は言った。

何も言えなかった。

それから半年掛けて、2回目の連載用ネームを編集長に提出する。

一週間から二週間は待たされただろうか。

担当編集から電話がかかってきた。

「俺君!あのネームだけどね、編集長ok出したよ!!」

マジか!!!???

遂にきた!!!!!

やったぞ、遂に6年もの努力が実ったんだ。

もう25歳になるがおれはまだまだ若い!

これからだ!親父やお袋にも長いこと迷惑を掛けた。

親戚づきあいでも肩身の狭い思いをさせた。

友達に俺の授賞カットを自慢してくれた妹も、

これだけ俺がくすぶっていたんじゃ肩身が狭かったろうな。

これから挽回だ。

俺は仕事場はどこにするか真剣に考え始め、 画材も大量に購入した。

そしてひたすら連載が決まるまでの間、先回りできそうな背景とかを書いたりして

連載開始日が伝えられるのを待った。

しかし、待てど暮らせど担当編集からの連絡はなかった。

一度連絡したが「もうちょっと待って」と言われ、 それから2週間〜3週間は連絡がなかった。

何度も連絡するのも気が引けるし、まったら向こうから連絡がくるのは間違いないので

俺は「こういうものなのかな」と気長に待つことにした。

 

その間、お世話になった人に色々とメールとか電話をした。

皆「おめでとう」と言ってくれて、本当に心から喜んでくれた。

担当から連絡があったのは、更に2週間が経過した頃だった。

「待たせちゃって、ごめんね。あの話だけどね、やっぱりダメになった」

え?頭が真っ白になった。

担当編集はその後、怒涛の謝罪か言い訳か事情を説明するかと思いきや

何も言わずにこちらの出方を待っていた。

完全に開き直っているような雰囲気が伝わってきた。

俺がどんなに何を言っても無駄だということがその態度で分かった。

俺は震える手で携帯電話を何とか持ち、「分かりました」とだけ言った。

ここでヤケになってはいけないと必死に言い聞かせ

「もう少し届きませんでしたね。今度はもっといいネームを書きます」担当編集に伝えた。

向こうの反応は覚えていない。

「俺が漫画家になれないとは思わなかった」

…と一番最初に思った。

唐突に出てきた言葉だ。

そして次に両親のことが頭をよぎった。妹のことも。

何て言おう。友達には?

今まで大言壮語をかまし、平凡な人生なんてクソクラエとわめいていた俺は、

急にそのことが恥ずかしくなって、誰もいない部屋で丸くなった。

そして自分に残されたのは25歳・職歴なしという現実だけ。

完全に心が折れた。

すっかり戦意を失った俺は今からでも普通の人生は送れないだろうかと模索した。

だが、高卒、職歴なしの25歳が働ける環境なんてブラックしかなかった。

そのブラックですら必死に頑張って雇ってくれるかどうか…

というような状況だった。

いつか一発当てて夢の印税生活…。

そんな夢は遂に夢として消えてしまうのか…?

そんな中一本の電話が届いた。

それは俺が7年間の漫画家志望生活を送ってきた中で出来た、数少ない漫画家志望友達だった。

「俺君さ、アシスタントやってみない?」

この一本の電話が俺を更なる破滅への道へといざなって行くことを俺はまだ知らなかった。

続きは次のページから!!