俺は風呂を出た後、住職に「この話は」と何度も言われ、
おそらく夫婦が渡していただろう小包から、数枚のお金を頂きました。
俺は受け取るとひどい罪悪感を感じ、住職に「A子さんは?」と何度も尋ねました。
住職「大丈夫だから」「いつものことだから」
同じ繰り返しのやりとりをしていると、店長がやってきて俺の方を叩きました。
店長「俺くん、ちょっと私の家に来なさい」
俺はそう言われ、店長の家へ行きました。
そこで話されたのは、やはり先程と同じないようでした。
今の世の中的に、世間的に考えて、この行為が危険なのはわかっている。
しかし伝統であり、その恩恵を受けた者達は数多くいる。
要約するとこういうことでした。
そこにA子さんが帰ってきました。
先ほどの不穏な表情をしたA子さんではなく、いつもどおりの明るい顔でした。
でも、少し鼻が赤くなっていたのを覚えています。
その後、何事もなかったかのように「勉強を教えて!」と言われ、
俺は言われるがまま、気まずい空気の中、勉強を教えにA子さんの部屋に行きました。
机があり、人形があり、服かけや、テレビがある。
古文の範囲だったかな。それを教えていた時。
A子「……俺さんは初めてでしたよね?」
俺「えっ!?ええ……まぁ……」
A子「そういうのは分かるんだー」
俺「そ、そうなの……?」
A子「女の子は結構、そういうの分かりますよ」
A子「やっぱり私の事知って幻滅しました?」
その後、かなりアウトな話しをカミングアウトされました。
一応伏せさせていただきます。
ちなみに初めてと言うか、儀式の決まりが年の近い子。と言うことらしく
初めての相手はBさんだと言うことを、聞いてショックでした。
また「贄となる娘は受け入れていること」が条件とも聞き、A子さんが受け入れているのだと知りました。
村には他にもA子さんと近いとしの子が数人居ました。
ただ、A子さんと同じ年か年上は歳を取るにつれ抵抗を抱くようになり、
また年下の子には同じ思いをさせたくないからと、A子さんが無理しているのも知りました。
そこで罪悪感が爆発し、俺は何度も謝った後、お金のことを伝えました。
A子さんは「お金は私もたくさん受け取っていますので」と優しく微笑み、
ブランドの財布を見せてくれました。
A子「男の人といっても、俺さんとBさん達しか知りませんが、皆やった後、謝るんですよね」
俺「それは……はい……」
A子「皆に言ったのですが、そう言うのは「ナシ」でお願いします」
聞くと、もしも儀式の影響で子供ができてしまった場合は村で応援する決まりであり、
お金の量も、その場合を想定しての量。実際子供ができたらお祝いとして手伝ってもくれるそうです。
A子「そ、その……よかったら、またお願いします」
顔を赤くしてA子さんは俺を見ながら頭を下げてきました。
以後、何度か儀式に参加していくことになります。
さて。今は何でその風習がなくなったかを書いていきます。
まずは村の人口低下でした。
俺の時から、村で育った人の殆どは子供を作るために外に出ていくと言って過言ではない状況でした。
同時に店長と住職また村の代表者数人が「この風習を続けていくのは、人を呼びこむのに邪魔になる」と意見がまとまったからです。
ただ何より大きかったのは、
A子さんが村を出る前に「私で最後にしてください」とお願いしたことだったと思っています。
では村に罹っている災いはどうなったかというと。
残念ながら未だに続いています。
ただ原因となる事はわかっているのでそれを鎮めるための祠を立てました。
続いていますが、大きな不幸が出るほどのことは無いと聞いています。
ちなみに赤い液体について、隙を見て持ちだし、大学の友人に見せたのですが、
事情を話していなかったとは言え。
何を考えたかスパゲッティにかけて食べてました。
良い感じで辛いらしいです。
結局なんだったかあまり分かっていませんが「とある果実を何百年と続く酒樽に漬け込んだモノ」でした。
何故辛くなるのか、何故塗るのかはわかりませんが(一説には処女に見せるため?)、害はないものだったようです。
友人は食べた後、翌日まで意識がハッキリとしていたそうですが。