ベートーベン「他人と喋るとおどおどしているのに、私と喋るときは普通だ」
俺「ああ…それは筆談だからでしょうね」
ベートーベン「筆談だと平気なのか?」
俺「そうです…リアリティがないからかなあ」
ベートーベン「だったら手紙で思いを伝えたらどうだ」
俺「何のことです」
ベートーベン「さっき会ったあの娘だよ」
俺「え」
ベートーベン「愛しているんだろう」
俺「!!」
ベートーベン「私もかつて手紙で女性に思いを伝えたことがある」
俺「は、はあ…」
ベートーベン「私もお前のように口下手で女性を前にすると何もできない男だった」
俺「…」
ベートーベン「だが手紙を書くと不思議なことにすらすらと思いの丈が溢れてな」
俺「…」
ベートーベン「人生であれほど燃え上がったことはなかった…」
俺「相手は…ジュリエッタさんですか?」
ベートーベン「いや。それ以上の恋だった。『不滅の恋人』だった」
俺「不滅の恋人…」
ベートーベン「結局その人とは結ばれることはなかった」
俺「…フラれたんですか」
ベートーベン「だが後悔はしていない。あんな燃えるような恋をしたのだから」
俺「…」
ベートーベン「どうだ。お前もあの子に手紙を書いてみないか」
俺「で、でも…」
ベートーベン「…ん?」
俺「!!!」
ベートーベン「来た!」
俺「あ、青い渦…!」
ベートーベン「…そろそろお別れのようだな」
俺「ベートーベンさん…」
ベートーベン「二日間世話になった」
俺「いえ…こちらこそ…」
ベートーベン「この筆談でお前が私に何でも話せたように」
俺「…」
ベートーベン「お前も思いの丈を手紙に記すんだ。いいな」
俺「でも…」
ベートーベン「…!」
俺「(…!あ…大事なところで…)」
ベートーベン「…」
俺「(筆談帳のスペースががなくなった…!)」
ベートーベン「…」
俺「(ど、どうしよう…最後の言葉が…)」
ベートーベン「…」
俺「(えーと…何か書くもの…)」
ベートーベン「…」
俺「あ、ベートーベンさん!それは…」
ベートーヴェン「…(スラスラ)」
俺「だ、大事な楽譜に…!」
ベートーベン「…(スラスラ)」
俺「え…なになに…」
ベートーベン「…」
俺「『Muss es sein?Es muss sein!』…?」
ベートーベン「…」
俺「ええと…エキサイト翻訳…」
ベートーベン「…」
俺「『そうあらねばならないか?』」
ベートーベン「…」
俺「『そうあらねばならない!』」
ベートーベン「…」
俺「…」
ベートーベン「(ニヤリ)」
俺「ベートーベンさん…」
ベートーベン「…」
俺「あ…渦の中に…!」
ベートーベン「アウフヴィーダーゼン!」
俺「あ…」
俺「さ…」
俺「さようならああああああ!!!!」
俺「…」
俺「あ…」
俺「…」
俺「…行っちゃった…」
俺「はあ…夢みたいだ」
俺「あの大作曲家が俺の部屋に…」
俺「しかし…」
俺「『そうあらねばならないか?』『そうあらねばならない!』」
俺「…」
俺「要するにあれ『告っちゃえよ』ってことだろ…」
俺「…」
俺「大事な楽譜に書いてまで念を押されるとはなあ…」
俺「…」
俺「まあいいや。俺にはエーリカがいるし」
俺「告白なんかできるか…」
俺「そういえば…弦楽四重奏曲第16番だっけか」
俺「この部屋で作曲されたんだよな…」
俺「図書館でCD借りて…しっかり聴いてみようかな」
俺「…」
俺「うん…」
俺「いい感じに力の抜けた…いい曲だな」
俺「一仕事やり終えた男の休息…って感じがする」
俺「あ、解説が付いてる…」
俺「え…『ベートーベン最後の作品?』」
俺「こんな軽い感じの曲が人生最後の曲だったのか…」
俺「まああの人らしいっちゃあの人らしいけど…」
俺「ん?」
俺「え…」
俺「えええええええええええええええええ????????????」
俺「が…『楽譜に書かれた謎の言葉』…」
俺「Muss es sein?Es muss sein!(そうあらねばならないか?そうあらねばならない!)」
俺「『この言葉が何を意味するのか…研究家の間では意見が分かれている…』?」
俺「…」
俺「こ、これ…」
俺「さっきの俺への告白の念押しの言葉じゃん…」
俺「さっき書いたまま…そのまま後世に残っちゃったのか…」
俺「…」
俺「なんてこった…」
俺「…」
俺「もう…わかったよ…」
俺「あの子にラブレター書きゃいいんだろ…書きゃ」
俺「フラれたら…あんたのせいだからな!」
俺「ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーベン!」
Wem der grose Wurf gelungen,
Eines Freundes Freund zu sein,
Wer ein holdes Weib errungen,
Mische seinen Jubel ein!
Ja, wer auch nur eine Seele
Sein nennt auf dem Erdenrund!
Und wer’s nie gekonnt, der stehle
Weinend sich aus diesem Bund!
大きな成功を勝ち取った者
心優しき妻を得た者は
彼の歓声に声を合わせよ
そうだ、地上にただ一人だけでも
心を分かち合う魂があると言える者も歓呼せよ
そしてそれがどうしてもできなかった者は
この輪から泣く泣く立ち去るがよい ~交響曲第9番第4楽章~
完
乙