俺「ああ…一応趣味でやってるんですよ。月光第一楽章くらいしか弾けませんけど」
ベートーベン「月光?」
俺「ベートーベンの名曲でしょ…コスプレするならそれくらい知っときなさいよ」
ベートーベン「私はそんな曲作っとらんぞ」
俺「ほら、これが楽譜」
ベートーベン「なんだ、ピアノソナタ作品27の2か…月光なんてタイトルを付けた覚えはない」
俺「…あれ、ちょっと…何してるんですか?」
ベートーベン「パンのお礼に1曲弾いてやろう」
俺「…いいですよ別に」
ベートーベン「(~♪)」
俺「(あーあ…勝手に弾き始めちゃった)」
ベートーベン「(~♪)」
俺「(へえ…結構うまいじゃん)」
ベートーベン「(~♪)」
俺「(ん?)」
俺「(あれ?おいおい、楽譜とぜんぜん違うよ…)」
ベートーベン「(~♪)」
俺「(ん?いや違う、これは…)」
ベートーベン「(~♪)」
俺「(変奏?しかも…)」
ベートーベン「(~♪)」
俺「(即興!?)」
ベートーベン「(~♪)」
俺「(そ、即興でどんどん変奏していく…)」
ベートーベン「(~♪)」
俺「(す、凄い…)」
ベートーベン「(~♪)」
俺「…(呆然)」
俺「す…すごい!すごい!ブラヴォー!」
ベートーベン「耳が聞こえないのでわからんが、ちゃんと弾けていたかな」
俺「(なりきりのコスプレもここまで来たら本物だよ…)」
ベートーベン「ん?」
俺「?どうかしました?」
ベートーベン「あ…あれだ!窓の外!」
俺「え?」
ベートーベン「あの青い渦!私はあそこから来たんだ!」
俺「!!!!」
ベートーベン「行くぞ!」
俺「(な、何だあれ?駐車場の真ん中に空間に青い渦が…)」
ベートーベン「これでウィーンに戻れる!」
俺「(ちょっ…え?)」
俺「(な、何だよこれ…夢でも見てるのか?)」
ベートーベン「まだあって助かった」
俺「(う…渦の向こうに…昔のヨーロッパの街並みが…)」
ベートーベン「世話になったな。じゃあな」
俺「あ!」
ベートーベン「ん?」
俺「う…渦がどんどん小さく…!」
ベートーベン「あ!ああああ!」
俺「…」
ベートーベン「…」
俺「消えた…」
ベートーベン「くそっ!もう少しで戻れたのに!」
俺「…(な…なんだ今の…)」
俺「(幻覚じゃない…はっきりこの目で見た…!)」
俺「(空間に青い渦…)」
俺「(渦の向こうに…昔のヨーロッパの街並みが見えた…)」
俺「(こ…このオッサンの言ってたことは本当だったのか…)」
俺「(あ…あれが時空を超える渦で…)」
俺「(19世紀のウィーンと2012年の東京を繋いでるとしたら…)」
俺「(このオッサンは…本当に…)」
俺「(お…音楽史上最大の作曲家…ベートーベン…なのか?)」
ベートーベン「仕方ない。お前の家に戻ろう」
俺「は、はあ…」
ベートーベン「あの青い渦は二度現れたんだ。また現れるだろう」
俺「あ、あのー…」
ベートーベン「何だ?」
俺「あなたがいた所では…西暦何年でしたか?」
ベートーベン「1826年だ」
俺「(えーと1826年…あ、ベートーベンの死の前年だ…)」
ベートーベン「どうした?」
俺「ベートーベンさん…実は…」
ベートーベン「?」
俺「今は…西暦2012年なんですよ」
ベートーベン「何?」
ベートーベン「うーむ…」
俺「…」
ベートーベン「信じられんが…つまり私はあの渦に巻き込まれて…」
俺「…はい」
ベートーベン「176年後のニッポンという国に来てしまったわけか」
俺「いや、2012-1826ですから186年後です」
ベートーベン「計算は苦手なんだ」
俺「それにしても…凄いことですよこれは」
ベートーベン「私は186年後も有名なのか?」
俺「有名どころか…世界中の老若男女があなたのことを知っていますよ。ドイツからこんな遠く離れた日本でさえ」
ベートーベン「ありがたい話だな」
俺「第九なんかはEU…ヨーロッパ全体の国家になってます」
ベートーベン「第九…交響曲第9番か?一昨年作ったばかりの新曲だ」
俺「あなたの後にも作曲家がゴマンと現れたんですが…誰一人あなたを超える名声は獲得してません」
ベートーベン「そりゃそうだろう」
俺「そんな人が俺の部屋に…信じられない…」
ベートーベン「そうだ、『ウェリントンの勝利』はどうなってる?」
俺「は?」
ベートーベン「作品91『ウェリントンの勝利』だよ。私の一番の人気曲だ」
俺「(ベートーベンにそんな曲あったっけ?)」
ベートーベン「交響曲第9番ですらそんな扱いなら、ウェリントンの勝利は世界国家並みの扱いだろうな」
俺「ちょっと待ってください…今調べます」
ベートーベン「聴衆に大受けしてな。あれは儲かったなあ」
俺「(げ…ウェリントンの勝利…『ベートーベン最低の駄作』…『唯一の失敗作』…『現代となっては演奏機会はほぼない』…だって)」
ベートーベン「どうだ?」
俺「え、えーと…まあ第九ほどの人気じゃないみたいです」
ベートーベン「そうか…わからんものだな」
ベートーベン「で、私はいつ死ぬんだ?」
俺「えっ!」
ベートーベン「わかるだろう、それくらい」
俺「え…ええと…」
ベートーベン「構わん。私は死など恐れん」
俺「さ…30年後です」
ベートーベン「30年後…86まで生きるのか。面倒くさいな」
俺「(さすがに言えない…来年だなんて)」
ベートーベン「とにかく…あの青い渦が出るまでここで待たせてもらう」
俺「うーん、困ったな…」
ベートーベン「五線紙を買ってきてくれ。やらなきゃいかん仕事がある」
俺「え、ここで作曲するんですか?」
ベートーベン「そうだ」
俺「(すげえ…大作曲家の作曲の瞬間を見られるのか)」
ベートーベン「うーん…」
俺「(全然進まないな…)」
ベートーベン「ええい、お前が見ているからだ。気が散る!」
俺「す、すみません…」
ベートーベン「若いんだから友達と酒でも飲んで来い」
俺「…友達なんかいませんよ」
ベートーベン「何?」
俺「ぼっち…あ、いや、一人なんです」
ベートーベン「そうか…私と一緒だな」
俺「ベートーベンさんも友達いないんですか?」
ベートーベン「みんな私から離れていった。パトロンや弟子は腐るほどいるがな」
俺「(ベートーベンがぼっちだったとは…)」
ベートーベン「馬鹿相手にへらへらと調子を合わせるくらいなら一人でいたほうがいい」
俺「あ…でも…、昔学校で第九の歌詞を習ったんですけど」
ベートーベン「ん?」
俺「うろ覚えだけど、『友達や妻がいないやつはどっか行け』的な歌詞があったような…」