61 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/14(火) 23:08:13.36 ID:fNXhvYIy0
――
係官「はい、三ヵ月分の給料と褒賞金。 確認してくれよ」
久しぶりに仕事をして稼いだ。 貨幣が本物かどうかを噛んで確認していると、
団長が直々に話しかけてきた。 契約をもう少し延長しないか、とのこと。
俺「でもなぁ。 大きな戦には参加したくないし」
団長「大丈夫だ大丈夫! そんな博打事はやりはしないから! ね!」
見事に口車に乗せられた俺は、契約をあと半年、延ばした。
62 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/14(火) 23:09:12.86 ID:fNXhvYIy0
俺は傭兵である。 傭兵というと孤児だったとか逃亡奴隷だったとか
そういう泥臭い過去をもつ者が多いが、俺にはそんなヘビーな要素はない。
俺は農村で産まれた。 それなりに安定した収穫があり、冬以外は毎日の食に困らないぐらい
恵まれた環境で育った。 父と母、姉と弟の居る幸せな家庭だった。
それなのに何故そこを抜け出したかというと、当時好きだと錯覚していた女の子にフられたからである。
俺がフられた噂は瞬く間に村に広がり、居た堪れなくなった俺は、いつかでっかくなってやると言い放ち
村を抜け出した。 14歳の春のことである。
63 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/14(火) 23:10:57.04 ID:fNXhvYIy0
盗んだ馬で行く先も分からぬまま走り、行き倒れていたところをママに拾われた。
しばらく店などを手伝わされたが、常に草原を走り回る少年のように自由でありたい俺にとって
命令に従って働くいうのはどうも性に合いそうになく、結局は地に足のつかない傭兵となってしまった。
尤も俺は戦うことが好きなわけではない。
できる事なら争いには参加したくないのである。
だから、「基本的には」契約こそするものの戦場では極力安全な場所に避難し、
定時に帰る公務員よろしく安定した給料のみを頂くのだ。 いのちだいじに。
64 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/14(火) 23:13:04.10 ID:fNXhvYIy0
俺「……今回もそのつもりだったんだけどなぁ。 どうしてこうなった」
大きな戦には手を出さない、という契約だったはずだが。
どう見ても大国の国境攻めです。 本当にありがとうございました。
この戦は、いくつかの小国が同盟を結び、大国の城塞を落とすことが目的らしい。
俺が望んでいた貴族同士の小競り合いとは訳が違う。 団長め騙しやがったな!
相手の大国が城塞に配備している兵団は、いくつかある正規軍の内1つ、数は数万。
一方こちらの連合軍は数倍の人数。 数だけ見れば圧倒的、なのだが。
66 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/14(火) 23:14:10.83 ID:fNXhvYIy0
俺の属する兵団は、他の団が正面から突っ込み、相手がそこの守りに集中している隙を突いて
西側から後ろに回りこみ、裏から一気に城塞を乗っ取るという妙なまでに大役を担っていた。
そんな旨い事進む訳ねぇよなと思っていると、案の定敵の隊が待ち構えていた。
相手はこちらの半数ぐらい。 しかし流石正規軍だけのことはあって数など関係なかった。
教育が行き届いている、と言えばいいのだろうか。 寄せ集め集団とは違い、隊全体のレベルが高い。
更に相手の兵の中でもやけに目立つ奴がいた。 鎧からして平の兵士のようだが、
こちらの兵20人をあっという間に肉塊へと変貌させるほどの凄腕だった。 怪物かこいつは。
その様子を見た団長は大層ご立腹であり、そろそろ俺にも火の粉がかかりそうだし
退散しようと こそこそ隠れる準備をしていると、逆にそれが目立ったのか指名されてしまった。
68 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/14(火) 23:14:56.24 ID:fNXhvYIy0
団長「お前、傭兵だったよな! 行かないと前の分の給料も払わんぞ!」
俺「んな殺生な!」
あろうことか怪物君と一騎打ちになってしまった。
怪物君と俺の周りには兵で囲まれ輪が作られ、もはや逃げ道はない。
お前ら見てないでちゃんと戦えよ!!!
常識的に考えて多勢で突っ込んだほうがいいだろうが!
くそう戦いたくねぇよ。 ……しかし。
戦いたくはないが、死を甘んじることもできない。 せめて童貞を卒業してから。
こうなった以上、やるしかあるまい! さっさと終わらせて逃げる!
70 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/14(火) 23:16:31.50 ID:fNXhvYIy0
手首の動脈を切ってしまえば、だいたいの奴はひるんで戦意を喪失するものだ。
しかしこの怪物君は中々にしぶとく、結局腕一本落とすまで戦うことを止めてくれなかった。
自軍から歓声と拍手が沸き起こる。
いや拍手とか要らないからそこの道空けてくださいお願いします。
その思いも虚しく、逆に戦わなければいけない人が増えただけだった。
動き回ったために人の輪の形はくずれているが、横は崖。 結局は逃げられない。
次の相手は兜に立派な羽飾りをつけている。
その人物は「隊長」と呼ばれた。
71 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/14(火) 23:17:49.85 ID:fNXhvYIy0
隊長。 ここの防衛を任された隊の、隊長か。
ならばこの隊長をなんとかしてしまえば、相手方は戦意を失い道が開けるかもしれない。
さすれば俺は自由になれるのではないか!
団長「こやつを倒せば報酬は約束の3倍だ!」
半年分の給料が1年半分になるのは魅力的だが、期待はしていない。
とにかく逃げることを考えると俄然やる気が沸いてきた。
よし、ちゃっちゃとやっちゃおう。
72 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/14(火) 23:19:55.80 ID:fNXhvYIy0
小柄で細身の身体。 正直舐めていた部分もあったが、隊長と呼ばれるだけあった。
素早い攻撃の数々は動きに無駄がみられず、なおかつ力強い。
これは先ほどのように手首だけを狙う余裕はなさそうだ。
相手の攻撃を適当に往なし、時にはやり返したりもする。
さて、どこを狙えばやる気をなくしてくれるか。
と、手元で、ピシッという音が聞こえた。
嫌な予感がし、恐る恐る自分の剣を見てみると、皹が入っていた。
まずい、安物じゃやっぱり脆かった!
当然、刀身に皹が入ったことは相手も分かっているだろう。
これは、まずい。 本格的に。
74 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/14(火) 23:21:40.46 ID:u/JQKpss0
「俺」って親衛隊に入れるレベルなんじゃ
76 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/14(火) 23:23:41.73 ID:fNXhvYIy0
隙の少ないこいつへの反撃のチャンスは攻撃を弾いた時。
しかしこいつは手数が多い。 こんな皹の入ったものでは弾くことなどできない。
いや、冷静になれ。 COOLになれ。
小さい脳で考えろ、もう全てを受け入れてしまえ!
攻撃を弾くと、剣は無残にも真二つに折れ、地面に突き刺さった。
得物を失い万策尽きた。 背後は崖。 逃げ道はない。
隊長は止めを刺すため、ゆっくりと近づいてくる。
そうだ、近づいて来い。
間合いが詰まる。 ――ここだ。
背中に隠しておいた短剣を握り締め、
甲冑の隙間、首元目掛け、一直線に突き上げた。
77 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/14(火) 23:24:12.97 ID:fNXhvYIy0
短剣を握る手が捉えたのは、首の皮と血管を切り裂く感触、ではなく
金属同士が擦れ合う振動――短剣が、兜を掠める感触だった。
だが、しくじった、とは思わなかった。
それは紛れもなく、弾き飛ばされた兜から現れたのが
三ヶ月前まで求め続けていた女性の顔だったからであろう。
78 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/14(火) 23:25:26.54 ID:fNXhvYIy0
驚きを隠すことができず、手を止めてしまった。
何故彼女が――
俺にとって彼女は特別な存在であるが、彼女にとっての俺はただの傭兵でしかなく、
こうやって手を止めた瞬間も彼女にとってはただの隙でしかないので お構いなしに剣を振るう。
しまった。 咄嗟に顔を腕で庇う。
瞬間、横からバンッという弾けるような音が3つ同時に聞こえた。
目を開けると、自軍から放たれたボウガンの矢が、彼女に突き刺さっていた。
79 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/14(火) 23:26:30.77 ID:fNXhvYIy0
彼女「あ、」
全てがスローモーションに見えた。
バランスを崩した彼女は崖淵で足を滑らせた。 手を伸ばす。
俺は咄嗟に短剣を捨て、伸ばされた彼女の手を掴む。
しかし重力に逆らうことはできなかった。
「隊長!!」と叫び声が聞こえる。
最後にボウガンを構えていた自軍の兵三人の顔を目に焼きつけ、
彼女を胸に抱え、崖の底へと落ちていった。
81 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/14(火) 23:28:30.90 ID:fNXhvYIy0
川の底から、木の根を伝って這い上がる。
水を吐き出し、呼吸を整える。 鎧着けての入水はもう御免だと心底思った。
落ちた場所が川だったこと。 その川が増水によって深さが増していたこと。
この二つによってどうにか生き延びた。 正直今でも信じられない。 なんというご都合主義だ。
一緒に救った彼女の様子を見る。
意識はないようだが、ちゃんと水を吐いて呼吸をしている。
ひとまず安心する傍ら、不謹慎ながらも人工呼吸という
正当な理由の下での口付けのチャンスを逃したことを悔しく思った。
空から水がぽつぽつと降ってきた。 もしかしなくても雨か。
雨には良い思い出が全くないので、とにかく雨曝しにならない場所に移動しようと彼女を抱き上げた。
82 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/14(火) 23:31:26.29 ID:fNXhvYIy0
都合よく発見した洞穴に彼女を寝かせ、考えた。 俺はどうすべきか。
彼女は手を伸ばせば届いてしまうほどの距離に居る。 ここまで近づいたのは初めてだ。
水分を含んだ髪は艶かしく顔にへばりつき、なんというか、もう、こりゃたまらんといった感じである。
ええいくそ、治まれマイサン! 何のための日々の調教か、今はそれどころじゃなかろうに!
まず、彼女に刺さった矢をなんとかするしかあるまい。 それで血を止めなければならない。
ってことは、包帯を巻く。 そのためには鎧を脱がせないといけない。 そのまま巻くのか?
いや、服は濡れている。 着替えか、せめて吸った水を絞らなければいけない。
やっぱり脱がせなければばばばばばばばばばb
脱がせるのか? 脱がせるのか!? むむむ無抵抗の彼女の衣服をひん剥くのか!!?
それであわよくば裸で身体を温めあったりなんかしちゃった日には俺はどうなってしまいますか!
83 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/14(火) 23:33:41.04 ID:fNXhvYIy0
否、落ち着け落ち着け。 我は紳士なり。 この程度で取り乱してはいけない。
兎にも角にも、優先すべきは彼女を助けること。 愚息のことなぞどうなっても良い勝手に威きり勃っておれ!
抜いたときの痛みが出来るだけ少なくなるように角度を考え、握る。
抜くぞ。 本当に抜くぞ! もちろん彼女に刺さった矢の話である。
力を込めた時、彼女は小さな呻き声をあげた。
そしてゆっくりと目を開けた。
ドキッとした。
86 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/14(火) 23:35:42.04 ID:fNXhvYIy0
旦
意識を取り戻したのは痛みの為である。
何故痛むのか。 ああ、ボウガンで撃たれたのか。
それで確か、足を滑らせて崖の下に落ちた。 下は川になっていたな。 いやしかし、
だからと言って助かるものか。 甲冑を着け浮き上がることもできずそのまま死んでいても――
目を開けると、ぼんやりと人影が見える。 衛生兵だろうか。
段々はっきりと見えてくる。 いや、こんな甲冑を着る者はうちの兵には居ない。
安っぽい甲冑。 金を惜しんでか動きやすさのためか、左腕にしか装備されていない腕甲。
はっとした。 こいつはさっきまで戦っていた相手ではないか!
87 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/14(火) 23:36:45.69 ID:fNXhvYIy0
腰から短剣を抜き、ひゃうと斬りつける。 相手の頬を掠め、赤い筋を引いた。
私「近付くな!!」
ボサボサの頭をした傭兵は驚いたように一歩下がり、両手を前に突き出す。
そして何かを言いたそうに、口をぱくぱくと動かした。
短剣を突きつけたまま睨むと、眉を下げ困ったような顔をした。
なんと情けない。 こいつに、敵に助けられたというのか!
88 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/14(火) 23:37:50.04 ID:fNXhvYIy0
ボサボサ頭「け、剣を降ろしてくれ。 俺に敵意はない」
男はおもむろに装備していた武器を地面に置きだした。
短剣に、どこに隠していたのかナイフを数本。 いや、しかし。
私「騙されるものか。 また油断させて殺す気だろう」
ボサボサ頭「そんなつもりは、……いや、そう思っても構わない。
とにかく、その、刺さった矢をなんとかしてほしいんだ。 血が……」
私「ふん、さっきまで殺し合っていたというのに私の心配か?」
男は下がった眉を更に下げた。
91 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/14(火) 23:40:33.55 ID:fNXhvYIy0
旦
困ったことになった。
現在持っている武器全てを彼女の前に晒し、手の平を向け、
完全に「降参」の形をとっているにも関わらず彼女は警戒を解いてはくれない。
ほんの少し前まで斬り合っていた上、あんな不意打ちをしたためそうなるのも当然だが。
こんな事ならうだうだと考えずにさっさと矢を抜いて適当に止血してこの場を立ち去れば良かった。
今となっては少し動いただけでも彼女に殺されてしまいそうである。 目がマジだ。
いや、彼女に殺されるのなら本望なのだが、こんな形で――「敵」として殺されるのは御免である。
92 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/14(火) 23:42:12.70 ID:fNXhvYIy0
俺「お、お互いの為だ、頼む」
彼女「何がだ」
俺「貴女は俺がこの場所を仲間に教える恐れがあるから、必ず殺そうとするだろう。
だが俺も命が惜しい。 だから貴女が襲ってきたらやり返す。 俺の短剣はそちらにあるが、
腕一本さえ犠牲にしてしまえば、得物を取り返し貴女の首を落とすことぐらいは容易い。 そうだろう」
俺「貴女がここを出るとしても。 落ちるところを見られているし、しかも手負いだ。
貴女の首を貰うべく、沢山の兵が探しているだろう。 その脚で逃げることが、
その腕で大人数と戦うことが、できるかどうか。 貴女が一番分かっているはず」
俺「もちろんそれは俺にも当てはまる。 そっちの捜索隊に見つかれば必ず殺される」
俺「上での連戦と、激流の中から鎧着こんだ人間を引っ張り上げてここまで運んだ。
正直、脚は棒になっている。 心っ底疲れている。 もう歩けない。 ……だから、だ」
俺「お互い。 回復するまでは、ここに隠れていたほうが良い」
彼女「……」
93 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/14(火) 23:43:51.62 ID:fNXhvYIy0
互いにしばらくの間静止し続けていたが、彼女が動き出した。
諦めたのか、ずっとこちらに向けていた短剣を降ろしたのである。
彼女「……得物は貴様の手の届かん場所に置いておく」
腰に収め、そして腕と脚に刺さった矢をズチュと乱暴に引き抜いた。
矢の刺さった痛々しい彼女の姿から抜き出し、とりあえず安堵の息を漏らす。
彼女「何故私の身を案じる。 慰み者にするのなら傷物は嫌か」
俺「ち、違う! それだけは断じて違う!」
99 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/15(水) 00:00:30.16 ID:fNXhvYIy0
彼女「では何故、しかも急に。 私が女だと分かったからか?」
俺「え、いや、その、ええと……も、もう戦う理由が無いからだ」
彼女「理由? そんなもの貴様が敵軍に属しているというだけで充分だ」
俺「いやさっきはああ言ったが、俺はもうあの兵団を抜ける。 この戦から抜け出す」
彼女「は、……怖気づいたのか」
俺「違うと言えば嘘になるが、元々この手の戦には参加しない契約だった。
なのに騙された。 契約違反。 俺はもうこの兵団に居てやる義理は無い」
100 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/15(水) 00:01:51.01 ID:fNXhvYIy0
彼女「それでも金にたかるものではないか、傭兵は」
俺「……この戦、どっちが勝つと思う。 うちら連合軍とそちら」
彼女「圧倒的に我が騎士団だろうな」
俺「俺もそう思う。 こんな死臭の漂うところで金が集まるわけが無い。 負け戦には興味ないよ」
矢傷を負った部分を押さえながら、彼女はふむ、と納得したような感じであった。
俺はというと、こんな形ではあるが彼女と会話できたことに感動すると同時に
緊張で心臓を口から吐き出しそうになっていた。 よく喋れた俺! よくやった! 誰か褒めて!
103 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/15(水) 00:06:13.77 ID:fNXhvYIy0
旦
このボサボサな頭をした男が言うことも一理あった。
確かに今の状況で外に行くのは危険である。 ここは回復を待ったほうが良い。
だがこのままこの男と居て大丈夫なのだろうか。
こいつから殺意は感じられないが、それは押し堪えているだけの演技かもしれない。
また、姦淫される恐れもある。 先ほど「それはない」と言ったが、所詮は男だ。
しかしそのつもりがあるのなら、私の意識が回復しない内にやっておくこともできたはずだ。
性欲の捌け口にするだけであれば私に刺さった矢を抜こうとする必要も無い。
どうも、解せない男だ。
104 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/15(水) 00:10:30.53 ID:fNXhvYIy0
視界の端で、男は押し殺したような小さなくしゃみをした。
季節は春になったと言っても雨が降ればまだまだ寒い。
川の水に至っては山の雪解け水だ、冷たくないはずがない。
しかし敵兵に見つかってしまうため火を焚くこともできない。
せめて服に含んだ水分を絞れればいいのだが、仮にも敵の前で甲冑を脱ぐなど――
パチン、という金具が外れる音がした。
見てみると、男が甲冑を脱いでいた。
106 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/15(水) 00:15:02.16 ID:fNXhvYIy0
唖然とした視線に気付いた男は「この前風邪で死に掛けたんだ」と言った。
いや、だからと言って警戒を完全に解いた訳でもない私の前で脱ぐか、普通。
男は服をも脱ぎ、軽く絞ってから顔と頭、身体を拭き、そしてもう一度、
今度は強く絞り、2,3度はたいてから、服を着なおした。 甲冑を着る様子は無い。
……こいつ、もしかして本当に馬鹿なだけではないのか。
ずっとピリピリしていた自分が馬鹿馬鹿しく思えてきた。
甲冑の金具を外す。 仕方ない、風邪如きで戦えなくなっては面白くない。
男は大層驚いた様子で目を丸くし、そして大急ぎで背を向けた。
ボサボサ頭「み、見てませんから、ど、どうぞ……」
何を恥ずかしがっているのか。
それよりも、丸腰の状態で敵に背を向けることの危険さを知らないのかこいつは。
肩甲、胸甲板、前当てを外し、ガシャリと立て掛ける。
107 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/15(水) 00:20:47.07 ID:fNXhvYIy0
旦
俺は紳士俺は紳士俺は紳士俺は紳士俺は紳士俺は紳士俺は紳士俺は紳士俺は紳士―――
何度もそう自分に言い聞かせているのは言うまでもなく彼女が背後で服を脱いでいるからである。
いつかの滝でもこのような事はあったが、あんなものはもはや序の口だ。
今は、彼女と同じ空間、この密閉空間に、彼女と居る。 言わば生の彼女だ。
彼女の小さな呼吸が聞こえる。 服と服とがこすれ合う絹擦り音が聞こえる。
皮膚と皮膚がこすれ合う音が聞こえる。 彼女を直接見ることはなくても、彼女の動く様子が
無駄に高性能な耳によってありありと脳に伝達され、そして映像化してしまう。
なんて無駄な第六感だ! くそう、たかが息子の分際で脳まで侵略しようというのか!
ええいなるものか、彼女の裸など想像してなるものか! 我は紳士ぞ!
108 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/15(水) 00:25:03.24 ID:fNXhvYIy0
彼女は無事 矢傷の止血も終え、滲みこんだ水も絞り出した服を着ている。
俺はほっとする一方、股間から来る無念の情に焼き殺されそうになっていた。
何故見なかった! 彼女の裸を見るチャンスだった、もう二度と無いであろうチャンスだった!
貴君は馬鹿なのか! 阿呆なのか! 賢者なのか! 臆病者なのか! ヘタレなのか!
ただ覗くというのが忍びないのであれば何かしら理由をつけて見る事は出来たはずだ!
マントを裂いたものを使わせず、貴君が持っていた包帯を渡せばその時に見ることができた!
包帯が巻き難いであろう腕、手伝ってやろうかと訊くことぐらいはできた!
殴られたり斬られたりという危険が伴っていても覗くのが男というものではないのか!
貴君は! 何故そうまでして! 紳士であろうとするのだ! 死んでしまえ!!!
110 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/15(水) 00:30:05.62 ID:fNXhvYIy0
息子よ、貴様の気持ち、分からんでもない。
しかしそのように己の欲望のままに行動し続けていれば必ず身を滅ぼす。
いやだからと言って段階を踏めば彼女の裸を覗き見ても言いという訳ではなく、
覗きという行為そのものが紳士のマナーに反するのだ。
どうしても裸を見たいというのであれば、然るべき道を通らねばなるまい。
たとえこのまま30を過ぎ魔法使いになろうとも、紳士の道を外してはいけない。
紳士であろうとする理由。 愚問だな。 そんなもの貴様が存在するからに決まっている。
だが、喜べ愛する馬鹿息子。 良い事を教えてやる。彼女は今、鎧を着てはいない。
鎧を着けても嵩張らない為に中に着られた服は、旅の最中のそれよりも薄手だ。
つまり身体のラインが前よりはよく見える、しかも至近距離だ。
彼女は貧乳――もとい、控えめだ。
111 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/15(水) 00:35:25.04 ID:fNXhvYIy0
それからしばらく、互いに何も話さないまま、ただ時間だけが過ぎた。
俺としては是非とも彼女と会話をしてみたかったのだが、何を話せば良いのか分からないし
彼女も会話をするような雰囲気ではなかった。 仮にも彼女にとっての俺は敵兵なのだ。
雨が止んだ。
日が暮れ始めると、彼女は鎧を装備し始めた。
名称のよく分からない防具の数々を慣れたように装着していく。 あまりにも重々しい。
暗くなってから出発するつもりだろう。
傷が痛まない訳は無いが、彼女は俺と違って騎士、やることがある。
それに自身の事が分からないほど馬鹿でもないだろう。 無理に引き止めることはできない。
115 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/15(水) 01:00:40.33 ID:fNXhvYIy0
陽が沈み辺りは暗くなる。 手入れを終えた短剣を収め、彼女は立ち上がった。
そのまま立ち去ると思っていたが、意外にも声をかけて下さった。 ありがたや。
彼女「貴様、本当に戦場から逃げるのか」
黙って頷くと鼻で笑われた。 臆病者だと、負け犬だと思われたろうか。
外の様子を伺い、安全を確認してからゆっくりと洞穴から出る。
彼女「次に戦場で会ったら、必ず殺す」
そう言い残し、闇の中に消えていった。
俺「さて、と」
彼女が立ち去った今、もう此処に居る必要は無い。
担保として彼女に渡していた短剣その他諸々を拾い集め、洞穴を抜ける。
申し訳ないが、俺は彼女に嘘を吐いた。
我が団の野営地を目指し、足を進めた。
116 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/15(水) 01:12:34.24 ID:fNXhvYIy0
弓兵「いやーまさか生きてるとはな! あれだろオレの矢のおかげだろ?」
夜中、野営地に戻ると、偶然にも見張りをしていたらしい同僚が話しかけてきた。
曰く、俺が彼女と崖から落ち、相手も隊長を失ったことで動揺する――かと思われていたが、
そのような事はなく、むしろ有力らしい俺を失ったこの団が乱れまくり、兵の数は半分になった。
団長の指示により撤退、明日は正面から攻めろ、とのこと。 士気は高くはないようだ。
弓兵「でも惜っしいよなー、女隊長殺しそびれたんだもんなぁ。
それさえ出来りゃ、給料も思いのまま、もしかしたら騎士にもなれたかも知れねぇよ」
俺「でもあの隊長に俺が殺されなかったのは お前らの矢があったればこそだ。
礼がしたい、他の二人も連れてきてくれ。 あぁ、他にばれちゃいけないから内密にな」
117 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/15(水) 01:19:17.40 ID:fNXhvYIy0
野営地から少し離れた場所、俺と顔をニヤつかせた男三人が輪を囲む。
酒を飲みながら俺の生還を喜んだり「オレの矢はどこに当たった」と自慢話をする。
「じゃあ」と俺が腰に手を伸ばすと、男たちは待ってましたと言わんばかりに目を輝かせた。
俺「お前の矢は確か、腕に当たったんだな」
野営地からかっぱらってきた長剣を抜き、男の肩を切り落とす。
「ギャアアアアア」という悲鳴が響き、森に住む野鳥がバサバサと羽ばたいた。
弓兵「テメェ! 何のつもりだ!!」
俺「るせぇ!! 戦士の神聖な決闘に横槍入れて汚しやがって! 恥を知れ!!」
弓兵「オレたちゃお前を助けようと――」
俺「ヴァルハラで懺悔しなッ!!」
彼女の仇を討って、やり残したことはなくなった。
あとは金を少しくすねて、闇の中へスタコラサッサと逃げ出した。
118 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/15(水) 01:25:38.86 ID:fNXhvYIy0
―――
見渡す限りの人人人人人人馬人人人馬人人……流石王都、と言うべきか。
町は国の守護英雄である かの騎士団を、紙吹雪と鼓膜が破れるほどの拍手と歓声で迎えていた。
鎧を着け威風堂々と馬に跨り、黄色い歓声に囲まれる国の英雄達の中に彼女の姿を見つけた。
他の隊長達に見劣りしない程、彼女は輝いて見えた。
噂によると、俺と分かれた後も連合軍の隊長格の首をいくつか落としたらしい。 あの傷で。
この国において、功勲最高位を受けた騎士団のみが入る事を許された正規軍。
その中でも最強と言われる団で、軍内いや国内唯一の武勲で以って成り上がった女戦士がいる事、
そしてその女隊長の名前――傭兵をしている以上、知らないわけがない。
彼女の名前を知りたい知りたいと思っていたが、まさかとっくに知っていたとは。
やはり高嶺の花というか、俺程度では手の届かない存在なのだな、と少々寂しくなった。
120 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/15(水) 01:36:58.53 ID:fNXhvYIy0
俺「最っ悪だよもう……」
王都、狭い路地にある酒場にて、自棄酒。
思わず口に出してしまうほどに最悪な気分であった。
俺「何たって俺ぁいつもこんな……」
俺「ちくしょう……」
酒を片手に俯く。
121 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/15(水) 01:42:06.12 ID:fNXhvYIy0
最悪だ。
一目見た瞬間から、近付きたいと、会って話しがしたいと――そう思い続け、
1ヶ月以上もの間、ずっとずっと、追い続け――振り向いてもらえないかと、
参加したくもない闘技会に参加し下半身を狙われ、勝手に買って出た
クマからの護衛のおかげで食料を奪われ飢えと寒さで死に掛けたりと――
少しは、努力をしていた、つもりだった。
しかしどうだ。
実際彼女が振り向いたときの俺は、彼女の敵――
しかも彼女の部下を何人も一生戦う事の出来ない身体にし、
それどころか彼女自身をも殺しかけた。 取り返しのつかないことをした。
彼女はもう、俺を敵としか――殺しの対象としか、見てはくれないだろう。
123 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/15(水) 01:48:18.87 ID:fNXhvYIy0
こんなことになるのなら、ずっと遠くから彼女を眺めているだけでよかった。
例え彼女に振り向かれる事はなくとも俺は眺めているだけで心が躍り、
そしてぽかぽかと温かい気持ち 「合席をしてもいいか」 になる事ができた。
例え彼女に 「おい」 想い人が居たとしても、彼女さえ幸せなのならば、
笑顔が見ることができるのならば、それだけで 「おい、聞いているのか」
俺「だぁーうるせぇえええ!!!! 勝手に座tt」
彼女「なら、座らせてもらう」
125 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/15(水) 01:54:06.63 ID:fNXhvYIy0
旦
壮大な歓迎を受け、城に導かれる。
下女に言われるがままに風呂に入り、頭を洗う。
着替えとして用意されたドレスは断固拒否した。 誰が着るか、あんなもの。
祝賀会が行われる大聖堂に入ると、また拍手で迎えられた。
貴族の娘達に囲まれ、きつい香水の匂いが充満し息苦しくなる。
抜け出した先では御曹司に囲まれ、少しでも目に留まろうと花束だの指輪だの渡される。
毎回の事ではあるが、いつまで経っても慣れないな。 他のお偉いさんの白い目も。
こっそりテラスから飛び降り、城から出る。
あんな所に居ては窒息してしまうのではないか、と襟のボタンを外しながら思う。
夜中だというのに街はまだ活気に溢れており、人々は酒を浴びるように飲んでいた。
まぁ、戦は終わったのだ。 浮かれるのも良かろう。 そして私も飲もうと思った。
126 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/15(水) 01:55:25.24 ID:fNXhvYIy0
狭い路地を抜け、行きつけの酒場に向かう。
出入り口で寝ている酔っ払いを蹴り退かし店内に入ると、こちらもやはり混んでいた。
空いている席は無いかと見回していると、店の奥から店主が現れた。
店主「やや、隊長殿! どうしてまたこんな所に――」
私「空いていないようだな」
店主「そんなものでしたら客を追い出してでもご用意させていただきます」
私「いや。 あそこ、一人は座れそうだ。 合席させてもらおう。
自分で頼んでおく、店主は営業を続けてくれ、忙しいだろう」
127 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/15(水) 01:57:27.88 ID:fNXhvYIy0
どこかで見たことあるようなボサボサの頭が、そのテーブルに突っ伏していた。
何かをぶつぶつと言っているし、寝ているわけではないのだろうと話しかける。
が、耳に届かなかったらしく、もう2,3度声をかけてみた。 今度は聞こえたらしい。
ボサボサ頭「だぁーうるせぇえええ!!!! 勝手に座tt」
なるほど、見たことがあるような気がしたわけだ。
ボサボサの頭をした傭兵は、目を点にしてしばらく硬直した後、驚いてか椅子から転げ落ちて
後頭部を強打し、頭を抑えてのた打ち回った。 大袈裟な奴だ。
129 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/15(水) 02:07:30.67 ID:fNXhvYIy0
旦
ぶつけた頭はまだ痛むが今はそれどころの話ではない。
目の前に、目の前にだ。 彼女が居る。 彼女が座ってゐる。
俺を殺しに来たのかと思ったが、どうやら単純に酒を飲みにきただけのようだ。
店員が酒の入った樽を持ってきた。 彼女はそれを指差す。
彼女「私の酒だ。 好きに飲めば良い」
なんて畏れ多いことを!!
130 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/15(水) 02:12:42.80 ID:fNXhvYIy0
完全に酔いが醒めてしまった俺の向かいで彼女は黙々と酒を飲み、チーズをつまむ。
自分の酒を置いてもらっていることからしてこの店の常連なのだろう。
ここを選んで正解だった。 ……いや、失敗だろうか。
彼女の今の服は、おおよそ庶民では手が届かないほどに高そうなものだった。
ドレスなどの女性用ではなく男物なのだが、それが妙に似合っている。
彼女は苦しいのかそれを着崩し、襟を胸元まで開けていた。
鎖骨が、わずかに、見えます。