渡辺省三《飛び降り自殺》享年65(1998年)
プロ野球選手(投手)、コーチ、スカウト。1951年10月に大阪タイガースの入団テストを受け、合格する。
2年目の1953年にコントロールの良さを買われてキャンプに打撃投手として帯同し、紅白戦でエース・梶岡忠義の右手甲に死球を与えてしまう。オープン戦で梶岡の代役として投げたところ好結果を出し、一軍に昇格した。同年は4月5日の対名古屋ドラゴンズ戦で初登板し、19日の対読売ジャイアンツ戦で初勝利を挙げるなど、10勝11敗の成績を残す。以降は1958年まで6年連続で二桁勝利を挙げるなど、チームに欠かせない戦力となった。
1998年8月31日午後1時15分ごろ、当時、阪神タイガースのスカウト職にあった渡辺省三氏が、神戸市中央区のビルから転落死した。現場に争ったあとが無いことなどから警察は自殺と判断した。