大友柳太朗《飛び降り自殺》享年73(1985年)
1985(昭和60)年9月27日午前9時13分、東京都港区南青山5丁目の自宅・7階建てのシャトー青山第1マンション屋上の高さ1.2メートルのサクを乗り越え、約20メートル下の植え込みに飛び降り、全身を強く打って即死した。
1980年代に入り台詞覚えが悪くなった事から、老人性痴呆症にかかったと悲観しはじめ、不眠症にも悩まされるようになったという。
あるタレントが大友の台詞覚えの悪さを愚痴っていたのを、大友本人が聞いてしまったという話もある。
坂本九《航空機事故死》享年43(1985年)
8月12日、東京でラジオの収録を終えた彼は、選挙応援の為大阪へ向かう事になっていた。彼は事故の多い日航を避け、国内移動には必ず全日空を使っていたが、今回はチケットやホテルの手配などはすべて招待する側の立候補者の側近が担当。全日空便が満席で(※事故当日のダイヤでは、日航機と同時刻・同区間で全日空機も飛んでいた)仕方なく確保したのが日航123便であったため、家族も乗客名簿が発表されるまで日航機に乗っているはずがないと信じていたそうである。尚、この事故で運命を共にした小宮マネージャーは、早めに羽田空港へ行き、全日空便への振替を何度も交渉したが、お盆という時節柄叶わず、やむを得ずこの事故機に乗ったという。2人は2階席に搭乗。由紀子夫人の話では事故の数日後、「全日空が満席で日航しか取れませんでした」という立候補者の側近からの謝りの電話があったという。
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