闇が深すぎる…有名人の不審死まとめ70選!!※画像あり

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尾崎豊《???》享年26(1992年)

[おざきゆたか]1965年11月29日 - 1992年4月25日

 

ミュージシャン、シンガーソングライター。10代の頃は「社会への反抗・疑問」や「反支配」をテーマにした歌を多く歌い、マスメディアからは「10代の教祖」「若者のカリスマ」などとも呼ばれたが、本人はこうした呼称を嫌っていた。10代最後の日に3rdアルバム『壊れた扉から』を発売しヒット、同時期に行われていたツアーも満員となるなど人気は絶頂を迎える。

4月25日早朝、足立区千住河原町の民家の軒先に全裸で傷だらけで倒れていたところを住人に発見され、通報で病院に運び込まれる。体が傷だらけだったが診察した医師は深酒のみという診断で尾崎は妻とともに自宅マンションに戻る。しかし、午後になり呼吸が止まっているのに気がついた家族が救急車を通報したが、搬送先の日本医科大学付属病院で死亡した。

佐々木つとむ《刺殺・失血死》享年40(1987年)

[ささきつとむ]1947年7月23日 - 1987年9月4日

 

昭和後期に活躍したものまねタレント。はたけんじ、団しん也、堺すすむと共に”元祖ものまね四天王”と呼ばれていた。ものまねタレント神奈月の師匠。高校中退後の17歳で浅草松竹演芸場の司会に抜擢される。
渥美清、高倉健、森進一、田中角栄などの物真似で人気を博した。昭和50年代のものまね芸人ではトップクラスの存在で、ものまね芸では田中角栄、大平正芳、三木武夫、春日一幸の4人の声を使い分けた”ロッキード麻雀”のネタや、ネタ落ちで出す渥美清のマネ「それを言っちゃ~オシマイよ」のフレーズが有名だった。その実績から、1974年と1977年に放送演芸大賞部門賞を受賞した。

東京都板橋区高島平にある愛人の「中野美沙(39歳)」のアパートで刺し殺された。

 

佐々木には妻子がいたが、ギャンブルにのめり込んで巨額の借金を作り、家庭内でのいざこざが絶えなかった。佐々木は1987年4月頃に家を出て、新 宿の ポーカーゲーム屋で知り合った女性と同棲していた。女性は、佐々木の借金の一部を肩代わりしていたが、それでも足りないと佐々木がさらなる金銭を要求 したため、二人の仲は次第に険悪になっていった。事件当日、女性が飼っていたシーズー犬を佐々木が殴って骨折させたことがきっかけとなり、女性は佐々木の全身を刃 物で刺して殺害した。

隣の4畳間のテーブルの上には「おとうさん、わたしもおとうさんのそばに行きます、でもわたしがおとうさんをころすなんてゆめにもおもわなかった、あのよでふたりでやりなおそうね」と遺書が残されていた。

 

9月4日夜、佐々木の所属するプロダクションの社長が仕事先に現れない佐々木を探し、愛人中野美沙のアパートを訪れた。その時、佐々木の遺体は腐敗して おり、ドアのすきまから死臭がつたわってきていた。社長はドアを蹴破り部屋に入ると、全身を滅多刺しにされて殺されており中は血だらけだった。佐々木の遺体はシーツや毛布が被せられ、枕を北にして仰向けに寝かされていた。

中野美沙入水自殺

事件後、中野は全国に緊急指名手配。TVは盛んに中野の顔写真を放映。青森へ逃走した中野は深夜タクシーを拾うと下北半島をただひたすら走るよう運転手に命じむつ市大湊駅で下車。その後、陸奥湾で入水自殺。

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