田宮二郎《猟銃自殺》享年43(1978年)
田宮は、趣味のクレー射撃に使うアメリカ製散弾銃をベッドの中に入れ、足の指でひきがねをひいたものらしく、弾は心臓部に直径ほぼ3センチの穴をあけ、即死の状態であった。ベッドの中と右腕は血まみれになっていた。
昭和53年12月28日、田宮二郎は、当時夫人と2人の子供を青山のマンションに別居させ、港区元麻布の自邸に一人で住んでいた。午前11時ごろ、田宮は付き人の西村豊に弁当をとってきてくれと頼んだ。西村が赤坂の仕出し屋から弁当を買って来て、午後1時半ごろ2階に上がってゆくと、10畳の寝室のダブル・ベッドの中で、赤いパジャマを着た田宮が死んでおり、銃身の先が、胸までかかった毛布からのぞいて見えた。
戸野広浩司《事故死(出血多量)》享年25(1972年)
戸野広の死因は「ロケ先の国民宿舎での夜、次の日がオフだった彼はスタッフとの宴会で深酒をして泥酔し、水を飲もうと洗面所へ行ったが、消灯時間を過ぎて電気が消されていて真っ暗な中、唯一洗面所に明かりのついていた女風呂に迷い込み、酩酊状態で脚を滑らせてガラス扉に突っ込んで、割れたガラスで脇腹を切り、そのまま湯船に落ちて出血多量で亡くなった」とのことである。
実は水を飲みに行ったと語られていた部分は間違いで、知り合いの住職さんや狭間さんの証言で、入浴していたということがわかりました。 さらに、従兄弟のすーさんの話では、戸野広さんは酔って入浴はしない方だったとのことです。何故、この日に限って・・・。悔やまれるところです。
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